FC2ブログ

会田誠展

 大晦日に、友人が参加したコミケを見たあとに2012年の締めくくりで森美術館で開催中の会田誠展をみてきました。

 言わずとしれた日本を代表する現代美術家です。美術の教科書では『あぜ道』が有名ですが、それ以降の作品は随分と変っていて同じ作家とは思えない作風です。

 ただ奇麗な絵や彫刻を作れば良いというのは最近はあまり重要視されていなく、現代美術の世界ではそれよりも概念が需要となってきており、まさしく会田誠もその流れに入っています。工芸品の丁寧な仕事を求めるスタイルとはまったく違います。この辺の流れを紐解くには、やはり西欧の芸術の歴史が大きく関係していて、それに産業革命以降、写真が生まれてからの絵画の在り方、なんてものも関係して来ています。印象派からキュビズムやダダイズムが生まれて来たのもそんな流れを汲んでると考えます。

 よく、現代美術が解らないという人が多いのですが、考えてみると理由がやはり幾つかあって、まず奇麗な物が芸術という前提。奇麗な物、という言葉には写実的というニュアンスも入っていて、抽象画が理解出来ない、ピカソみたいな絵は自分でも描ける、という感想がこれに入ります。
 これは、芸術というものがそういうもの、という雰囲気がまだまだ世の中にあって、未だに写真が生まれる前に描かれた絵を教科書でみたりする事が多かったり、大人が芸術はよくわからないもの、という事をいっている社会的背景の影響が大きいと考えます。
 簡単な例ですが、昔は宮廷画家など、一部の上流階級の人のお抱えだった芸術家が、簡単に写せる写真の登場によって自分たちがどうするべきか考えて、その差別化の為に様々な事を実験的に行って来たという大きな流れの延長上に今の現代美術ものっています。
 絵画においては構図への挑戦、色彩の挑戦など、いろいろな事が行われて来ましたが、最近は「美しくなくても芸術品である」ということへの挑戦などが行われています。

 会田誠の作品は、10数年前から誌面ではよく見かけていました。四肢切断された女の子が鎖に繋がれているのが最初に見た作品でした。初めて見ると、嫌悪感や不快感を感じる人もいるようです。

 ここからは、見る人と作る人の壁がある話かもしれませんが、例え不快に感じてもその概念を考えてみる。という事が重要なのではないか、と最近思ってます。見て、自分なりに作品のコンセプト、コンテクストを考えて導きだす。それが現代の美術には必要不可欠で、それが出来ないと「現代美術はわからない」となってしまいます。

 展覧会会場に、会田誠が28歳の時に描いた小学生の宿題のポスターがありました。
 よくある、資源を大切に、とかそういうやつです。そんな物が、小学生が描いた様に描いてあります。それを見て、奇麗な絵ではない、下手くそ、訳が解らない、とそこで止まってしまうのではなく、「大人が」「子供の宿題を」「子供が描いたの様に」描く事によって何を言おうとしているのか?を考えないと話が進まない訳です。その理由こそが会田誠が言いたい事で(皮肉、批判が強いと考えますが)、それが作品の醍醐味となるわけです。
 その事を知らずに見てしまうと、訳が解らないのです。

 奇麗な物をつくればいい、ということでは今の芸術は完結しないな、という事を最近思っていたので、非常に楽しく、いろいろ考えさせられる展覧会でした。

Trackback

Trackback URL
http://koheiyoshida.blog.fc2.com/tb.php/19-9f3ff89b

Comment

Comment Form
公開設定

プロフィール

Kohei Yoshida

Author:Kohei Yoshida
金属工芸家
http://koheiyoshida.com/

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
リンク
このブログをリンクに追加する
検索フォーム
RSSリンクの表示